カナダにおける早期集中行動介入(EIBI)の現状        2004.1.24

       藤坂龍司

 

1.はじめに

カナダでは90年代中ごろから、早期集中行動介入(EIBI,Early Intensive Behavioral Intervention)
 をわが子に実施する親、あるいは実施したいと考える親たちによる活発な活動が行われました。

 ブリティッシュコロンビア州(以下、BC)では自閉症の娘を持つサブリナ・フリーマンという女性が
 95年にバンクーバーで積極的な活動を始め、96年にFEAT BCを設立しました。
 彼女は95年までアメリカに4年間在住し、そこでロヴァース式のEIBIを受けることができたのです。
 しかしBC州政府にEIBIを公費で実施させよう、という彼女の運動はなかなか実を結びませんでした。

 一方、お隣のアルバータ州では、96年に、ある自閉症児の親の訴えに対して、州女王座裁判所(第一審)
 が、州に対して原告のEIBIの過去及び将来の費用の90%を負担するよう命じる判決を下しました。
 これがカナダでこの問題を扱った初めての判決になりました。
 アルバータ州では、この判決がきっかけとなり、99年から州内の2〜5歳の自閉症ないし
 ASD(自閉性スペクトラム障害)児全員を対象に、最大週40時間のEIBIを公費で
 最長3年間実施することになりました。
 また東のオンタリオ州でも、同じく99年に、2〜5歳の自閉症児に対して、
 EIBIを公費で実施する方針を発表しました。

2.BC州の違憲判決

 BC州では99年にサブリナ・フリーマンら4組の親子が、州政府を相手取って訴訟を起こしました。
 彼らの請求は、EIBIを州の医療保険制度の対象とせよ、というもので、それを州政府が怠ってきたのは、
 カナダ憲法第15条の平等保護条項違反である、と主張するものでした。
 この訴訟は原告の一人の名前をとって「オートン事件」と呼ばれています。

 2000年7月、そのオートン事件の州高等裁判所(第一審)判決が出ました。
 それはとても画期的なものでした。裁判所は原告らの訴えをほぼ全面的に認め、
 州政府がEIBIを医療保険給付の対象とせず、その他の方法でも公費負担をしなかったのは、
 憲法第15条違反である、と違憲の判断をしたのです。

 

 以下、その判決文から、いくつかの部分を抜粋して紹介します。

 <子どもの状態>
 子どもの原告はいずれも治療前、言葉が全くなかった。彼らは手をひらひらさせたり、
 特定のものに固執したり、奇声を上げたり、自分や周囲の人を噛んだり、たたいたりした。
 両親によれば、ロヴァース法の効果は劇的だった。コナー・オートンはコミュニケーションの分野で
 顕著な進歩を遂げた。しかし彼の母親がEIBIを続けるための資力を持たなかったため、
 彼の治療は中断された。


 ミッシェル・タミアは92年から週35時間のロヴァース法を受けた。現在彼女は、
 小学6年の普通クラスにうまく適応している。

 ラッセル・パースは97年にロヴァース法を始め、現在幼稚園でうまく適応している。
 彼は治療の結果、言語能力において顕著な進歩を遂げ、もはや治療を必要としていない。
 ジョーダン・ルフェーブルも付添いつきで幼稚園にうまく適応している。
 「私(訳注:アラン判事。以下同じ)は妥当な証拠に基づいて、子どもの原告がロヴァース法の結果
 顕著な進歩を遂げたと認定する。」

 <ロヴァース法に対する専門家の支持>
 原告の一人、サブリナ・フリーマンは、ミッシェル・タミアの母親である。
 彼女は91年からアメリカで4年間、娘のためにロヴァース法を受けることができた。
 95年に帰国してから、彼女はロヴァース法に政府の支持を得るべく、精力的な活動を行った。
 彼女とその夫は96年に親の運動グループである「早期自閉症治療を求める家族の会BC支部
 (Families for Early Autism Treatment of BC)」(FEAT BC)を結成し、
 ロヴァース法を支持する63人の精神科医の署名を得て、請願を行った。

 このほかにも、ロヴァース法がBCにおいて医学界の支持を得ていることを示す証拠がある
 (訳注:例として署名者の一人である精神科医の証言を採用している)。

 <自閉症の治療に関する合意点>
 「専門家の証言は、最も効果的な行動的治療はABAの原理に基づくものである、
 という点で一致している。他にこれに匹敵する効果的な治療法は存在しない。」
 グレシャム博士(筆者注:政府側に有利なリポートを書いた専門家の一人)によれば、
 ABAはこの分野での35年以上の研究に基づく「えり抜きの治療法(treatment of choice)」である。
 彼は、ロヴァース研究の再現実験は必要だが、その結果が出るまで、治療を遅らせるべきではない、
 と強調している。[52]

 <州によって提供されている治療>
 州政府は、自閉症児の家族に対して数多くのプログラムやサービスが提供されている、と主張する。
 例えば、supported child care(筆者注:child care centreは日本の保育園にあたる。
 このプログラムは障害児でもchild care centreに通えるよう、必要な援助をしよう、というものである)、
 respite relief(筆者注:週末、介護者が外出したいときに自宅または施設で子どもの面倒を見るサービス)
 作業療法、理学療法、言語療法、行動療法的サポートなどである。
 しかし最後のものを除いて、いずれも自閉症の症状を治療しようと試みるものですらない。

 「今日、保健省(Ministry of Health,MOH)は、自閉症の診断がその管轄であるにもかかわらず、
 自閉症に対してなんら治療を提供していない。」

 「就学年齢に達するまで、自閉症児は、学校法(School Act,R.S.B.C.1996,c.412)に基づく
 いかなる教育サービスも受けることが出来ない。特別なニーズをもつ就学前の児童へのサービスは、
 すべて児童家庭省(Ministry of Children and Families,MCF)の管轄である。」しかし児童家庭省は、
 治療を施すことを職務として定められておらず、また必要な専門性も有していない。

 MCFは契約しているいくつかの民間機関を通じて、自閉症児に対するサービスを提供している。
 しかしその多くは治療というよりサポート的なものである。治療を提供するわずかな機関も、
 必要な集中度や個別性に欠ける。またある機関は主に感覚統合療法を提供しているが、
 この療法は政府側専門家証人によっても、その有効性を否定されているものである。

 デイビス博士(筆者注:BC州の児童臨床心理学者)は次のように政府を批判する。
 「ある障害に対して、その半数を回復させることが分かっている治療法がありながら、
 サポート的なサービスを提供することは、エイズ患者に対して、その半数を治癒させる
 治療法が発見された後も、サポートサービスを継続することに等しい」

 <立法の枠組み>
 原告の請求する主要な救済は、医療サービス委員会(MSC)及び保健省(MOH)が、
 この州のメディケア制度の下で、ロヴァース法を医療給付として提供することを
 裁判所が命じることである。


 「給付(benefits)」とは第13条にしたがって登録される医療従事者によって提供される
 医学的に必要なサービス、及び第50条の下で給付と指定されたサービスで、
 第13条にしたがって登録されるヘルスケア従事者(a health care practitioner)によって
 提供されるもの、と定義される。

 「ヘルスケア従事者」はカイロプラクティック療法士、歯科医、自然療法医、検眼士、
 あるいは「ヘルスケア専門家ないし指定された職業(occupation that may be prescribed)のメンバー」
 を含む(下線は判事によるもの)

 州政府は、ロヴァース法ないしABAはヘルスケア従事者によって提供されないのだから、
 それらは医学的に必要なサービスではなく、したがってメディケア制度の下で提供される給付
 (benefit)にはあたらない、と主張する。

 州政府は「医学的に必要なサービス(medically necessary service)」を狭く解釈し、
 それはMSCによって現在ヘルスケア従事者に指定されている者によって
 提供されるものでなければならない、としている。しかし医学的治療のより正確な定義は、
 病気を治癒ないし改善するものすべてである。「両当事者が援用する専門家証言に基づいて、
 私は、早期集中行動介入は医学的に必要なサービスである、と判断する。
 さらに私は、法による「ヘルスケア従事者」の定義が、ヘルスケア専門家以外の
 「職業(occupation)」に属する者を明示的に含めていることを重視する。
 「したがってABAのセラピストをヘルスケア従事者に指定することは可能なはずである。」

 「カナダ国民は、その身体的及び精神的な疾患に対して医学的治療を受ける権利を有する。
 それはその疾患が「治癒」不能であっても変わらない。私は自閉症児に対する早期集中ABA治療を
 メディケア制度の中で行うことが、現行法の枠組みの中で可能であると結論する。」

 <平等違反の問題>
 原告は、ロヴァース法に公費負担を行わないことによって、政府は自閉症児の不利な立場を
 考慮することを怠り、結果的に自閉症でない子どもや、精神障害のある大人と比較して、
 自閉症児に異なった取り扱いをしている、と主張する。
 
 自閉症児に対して治療プログラムが存在しないのは、自閉症児は効果的に治療することができない、
 という前提に、意識的あるいは無意識的に起因しているに違いない。
 しかしこの事件における広汎な証拠は、その前提が誤ったステレオタイプであることを示している。
 精神的な疾病に対する烙印(stigma)は歴史的なものであり、広く浸透している。

 自閉症にとって適切な治療に公的負担を行うことは、医療法制の目的に完全に一致する。
 「普遍的なメディケア制度を創設した以上、政府はその便益を差別的に給付することを禁止されている。
 自閉症児の場合は、その主要なヘルスケア上のニーズは、早期集中行動介入である。
 彼らのヘルスケア上のニーズに適切な配慮を怠ることによって、州政府は彼らを差別している。
 差別的なのはメディケア法制そのものではなく、州政府によるその過度に狭い解釈である。」

 州政府の弁護人は、自閉症児が病気になった場合は、中核的な医療サービスが完全に
 保障されている、として、本件とEldridgeを区別しようとする。例えばもし自閉症児がガンに
 かかったとしたら、彼らはその治療を受けられるだろうと。

 しかし自閉症は治療を必要とする障害ないし疾病である。もし衰弱する病にかかった患者に対して、
 州がその疾病には治療を提供しないでおきながら、もし彼らが足を折ったり、
 肺炎を起こしたりしたら、それには治療が約束されている、と言っても、何の慰めにもならないであろう。

 同様に、自閉症は「治癒」しない、という事実は、治療しない理由にはならない。
 ガンはしばしば不治だが、その進行を遅らせたり、症状を軽減する治療を行わないことは考えられない。

 私は、原告は彼らの第15条の権利が侵害されていることを、Law及びGranovsky
 において提示されたテストに基づいて、十分に立証した、と考える。


 <コストの問題>
 州政府は、その医療財源は限られており、自閉症児の治療を公費負担すれば、
 他の特殊なニーズを持った子供たちから財源が奪われてしまう、と主張する。

「しかし自閉症の効果的な治療によって生じるコストは、自閉症児に孤立と施設収容の人生を
 運命付けるのではなく、彼らの教育的、社会的な潜在能力を発展させることによって
 達成される節約によって、広い意味で補われてなお余りあるだろう。」

<結論>
子どもの原告は、州政府が彼らの第15条(1)の権利を侵害した、との宣言を与えられる。





 判決の紹介は以上です。参考までに、カナダ1982年憲法第15条の条文を紹介しておきます。






 第15条(1)「すべて人は法の前に平等であって、差別、とりわけ人種、国籍、民族的出自、
 皮膚の色、宗教、性別、年齢、精神的・身体的障害(mental or physical disability)による差別なく、
 法の平等な保護と平等な利益を受ける権利を有する」

 (2)(省略)

 

 カナダでは、このように日本と違って、憲法で「障害」による差別を明確に禁止しています。
 これがオートン 判決の大きな根拠になりました。

 もう一つ、カナダでは最高裁判所の解釈によって、政府による積極的な差別ではなく、
 不作為による結果的な差別も第15条違反とされています。というのは、このオートン判決の3年前、
 カナダ最高裁判所は、聴覚障害者が医療サービスを受けるために必要な手話通訳を州政府が
 公費で配置しないのは、憲法第15条に反する、という判決を下したのです。
 手話通訳を提供しないことによって、聴覚障害者は、他の人たちが受けられるのと同じ
 医療サービスを受けることができない、これは差別だ、というわけです。

 オートン判決でもこのカナダ最高裁判決が大きな拠り所になりました。
 同じように自閉症と言う障害を持つ子どもに、必要な医療を提供していない、
 という問題だったからです。

 さらにいえば、BC州では専門家がこぞって、ABA及びEIBIの治療としての有効性を支持した、
 ということが、裁判所による「EIBIこそが自閉症の唯一有効な治療法である」という事実認定を
 可能にしたと思われます。







 3.判決後のこと
  さて、オートン事件のその後ですが、2000年判決は、とりあえず憲法違反の宣言だけをして、
 原告にどのような救済を与えるかの判断は先送りしていました。
 2001年にその問題に関する判決が下されました。州高等裁判所は、州政府に対して、
 州内の自閉症児にEIBIを公費で実施するよう命じるとともに、原告に対して、
 一家族2万ドルの損害賠償を支払うよう命じました。

 これに対して州政府が上訴し、2002年に州最高裁の判決が下されました。
 それは高等裁判所と同様、州政府がEIBIを公費負担しなかったのは、憲法15条に違反する、
 というものでした。また高等裁判所は原告の子供にではなく、州内の6歳以下の自閉症児に、
 今後EIBIを公費で実施するよう命じただけでしたが、州最高裁はさらに一歩進んで、
 原告の子供に対する過去のEIBIの費用、そして専門家が必要と判断する限り将来にわたっても
 それを継続するための費用を公費で負担するように命じました。

 州政府はこの州最高裁判決も不服とし、さらにカナダ最高裁判所に上告しました。
 今年3月にカナダ最高裁でのヒアリングが行われる予定だそうです。
 早ければ年内に判決が出るでしょう。


 一方、BC州政府はこの州最高裁判決を待たずに、2〜6歳の自閉症及びASD児を対象に、
 「EIBIを含む最低週20時間の直接サービス」を始めました。原告らはこれを不十分だと主張しています。





  BC州以外の動きですが、2000年以降、先ほど述べたアルバータ州、オンタリオ州以外の地域でも、
 親の強い運動によって政府が動かされ、EIBIを何らかの形で公費負担する動きが続きました。
 昨年10月の報道によれば、EIBIの公費負担を全く実施していない州は
 ノヴァ・スコシアとサスカチュワンの2州を残すのみとなったそうです。

 現在では、EIBIの対象外とされた6歳ないし7歳以上の自閉症児をもつ親が、
 わが子にも集中的な行動介入(IBI)を公費で行ってほしい、と各地で州政府に対して
 強く働きかけています。また6歳までEIBIを受けていた自閉症児の親が、
 その後も公費治療を継続するよう、これも懸命な運動を行っています。
 後者は、継続を認める判決も出ているようです