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ケロちゃんの場合

1.乳児期のけろちゃん

我が家のひとり息子ケロちゃんは、妊娠中・分娩時ともきわめて順調に誕生しました。乳児期は「母乳嫌い」という問題はあったものの(実は私自身が母乳嫌いだったらしいので、遺伝だとすぐにあきらめました)、寝返りも、はいはいも、一人歩きもどの子より早くて、内心は自慢の息子でした。病気も11ヶ月で信州に旅行に行ったときに初めて風邪をひいたくらいでとても丈夫な子で、よく泣き、よく笑い、よくミルクを飲み、近所の人からも「育てやすいいい子だね〜」とうらやましがられていました。

ケロちゃんは、ちょっと変わった子供でしたが、私はそれを息子の個性だと思っていました。「変わったところ」とは、例えばお菓子に興味を示さないとか、ミルクが大好きなのに絶対に自分では哺乳瓶を持たない、とかいったところでした。一人遊びも上手でしたが、決して人を受け付けないというわけではなく、「お母さん大好きっ子」でしたし、祖父母にもなついていましたし、お友達ともそれなりに遊んでいるようでした。

私がケロちゃんについて心配するようになったのは、1歳を過ぎた頃からでした。それまで何でも成長が早かったため、当然発語も早いものだと思っていました。発語の時期は親と似る場合が多いようですが、私自身は10ヶ月ですでに赤・青・黄色が区別できていました。ケロちゃんは3ヶ月くらいから「ぶー」「あー」と言った発声をしていましたので、1歳前にはいつ言葉がでるかと、毎日彼があぶあぶ言う度に真剣に聞き取ろうと耳を傾けました。

しかし、お友達が「まんま」「ママ」「わんわん」と話し出しても、ケロちゃんは一向に意味のある音声を発しませんでした。私は手近な育児書を読み漁り、「発語には独歩以上に個人差がある」という文章に慰められていました。しかしその一方で、ケロちゃんは「指差し」をせず「クレーン(自分の要求に対し大人の手を持っていくこと)」があり、それが自閉症の症状であることを私は知っていました。でも、それ以外でケロちゃんが自閉症の症状を示すことはありませんでした。目も合い、よく笑い、表情豊かでミニカーを並べたりすることもなく、見立て遊びもしていました。そしてどちらかというと、LD児の乳児期の様子に合致するような気がしました。

2.診断

ケロちゃんの言葉の遅れとクレーンが気になりつつも心配を打ち消していた私は、1歳半検診で保健婦に「クレーンがあるんですがこの子は自閉症なのでしょうか」と尋ねました。「いいえ、違いますよ、お母さん。心配しすぎですよ」という答えを期待して。でも返ってきたのは「そうのような、そうでないような…」という曖昧な言葉でした。そして障害児のための療育施設を紹介され、「この子はまだ1歳半ですから…」と逃げるように帰ってきました。

その後もケロちゃんは、まるで中国語のように聞こえる長い台詞をしゃべって、ひとりで笑ったりはしていましたが、なかなか言葉はでませんでした。そうしてようやく2歳3、4ヶ月のとき「ぶっぶー」が言えるようになったのです。「やっとしゃべった!」その感激はひとしおでした。それから2歳半までの間に指差しをするようになり、「わんわん」「かんかんかん(踏み切り)」が言えるようになり、やはり言葉が遅いのはこの子のペースなんだ、と安心し始めていました。

そんなとき、保健所から「心理判定士」による育児相談を受けてはどうか、という電話がかかってきました。私は本当は行きたくはなかったけれど、療育施設を断った経緯があったので今回も断る勇気はなく、まあいいや、行くだけ行っておけば、という気持ちでした。そこで心理判定士から下された判決は「この子には自閉傾向があり、一刻も早く療育をはじめたほうがよい」というものでした。

私はケロちゃんの自閉症は疑ってはいましたが、現実に他人からそう言われると受け入れがたいものでした。「間違いに違いない」と思いました。もちろん療育施設に入れる気もさらさらありませんでした。ところが自分と夫の母にそのことを話すと(自閉傾向というのはさすがに言えませんでした)、二人とも異口同音に「ぜひ療育に行くように」と勧めるのです。私はすっかり気を悪くしました。「言葉は個人差があるから気にしないように」と言ってくれるものだとばかり思っていたのです。しかし子育ての経験のある母達は、やはりケロちゃんが「どっか違う」というのを肌で感じていたようです。そして、「少しでも早く手を打つべきだ」と思っていたのです。

仕方なく私は療育施設の見学に行き、4月から入園することになりました。ケロちゃんが2歳10ヶ月のときです。

療育施設から療育の方針を立てるために、ある病院で診断を受けるように、と指示されました。夫は医療関係の仕事についているため、診てもらう先生によって患者のその後の人生が大きく変わるというのをよく知っていました。だから、色々な病院を回ってベストの先生を探すべきだという考えでした。私達はケロちゃんの問題は「言葉の遅れ」だけだと思っていました。それでさる病院にある「小児言語科」を受診することにしました。

「小児言語科」では、病名は診断できないとのことでした。そしてケロちゃんがしゃべらないのは「言葉の意味が分かっていないから」、かといって無理にしゃべらせようとはしないこと、とアドバイスされました。

療育施設で指定された病院では、発達検査をして診断が下されました。ケロちゃんはDQ66、「精神発達遅滞」と診断されたのです。私は耳を疑いました。「自閉症」や「LD」ならまだしも、「精神発達遅滞」だなんて。「この子は普通の学校に行けないのですか?」と噛み付く私に、先生は「おそらく幼稚園では追いつくでしょう。小学校低学年は何とかなるでしょうが、これだけ言葉が遅れているとなると中学年以降論理的思考が必要とされてくると無理でしょうね」と言われました。

何というショックでしょう。私はよく50km、事故もせずに運転して帰れたと思います。「絶対うそだ」という気持ちと「でもきっと先生の言うことは当たってる」という気持ち。私は今後どうしていったらよいのか分からないまま、どん底に落ちていました。

夫はうちひしがれている私を見てか、自分自身が先生の診断を聞いたわけではないからか、私より冷静でした。とにかく彼の意見は「もっと他の先生にも見てもらおう」ということでした。そこで小児言語科にかかった病院の「青年児童精神科」の予約をとりました。でも予約がとれたのは3ヶ月も先で、しかも診断には3回の診察・3ヶ月もかかるのでした。

それから夫はネットで情報を集めるように私に言いました。ところが「自閉症」と違って「精神発達遅滞」はネットの情報も出版されている本も本当に少なかったのです。私はこれといって対策もとれないまま、とにかくケロちゃんの生活リズムを整えること、外遊びを通じて言葉を教えること、発達検査でできない項目だった「三輪車に乗ること」だけを実施しました。

3.ケロちゃんの成長・そして障害の受容

「精神発達遅滞」の診断が下されたのはケロちゃんが2歳10ヶ月の終わりごろです。その前後からケロちゃんの発達は著しくなってきました。1日に2〜3単語覚えるのはざらだし、2歳11ヶ月ではついに2語文がでたのです!2歳6ヶ月のとき単語が3つ言えただけだったことを思うと驚きの進歩です。3歳のお誕生日には単語は150を超え、その後しばらくして3輪車もこげるようになりました。

療育施設では、他の子供たちは朝しばらくだけお母さんと一緒で後は母子分離だったのですが、ケロちゃんは私が一緒でも1時間くらい泣き叫んでいたのでずっと母子で療育を受けていました(週1回)。2ヶ月半がすぎたころ、やっと落ち着いてきたので、私も母子分離してもらい、他のお母さん達と交流できるようになりました。

ケロちゃんのクラスは当然「自閉症」もしくは「自閉傾向」をもった子供ばかりです。同じような悩みをもつお母さん達と話しているうちに、だんだん私の気持ちも落ち着いてきました。日々成長するケロちゃんを見ていると、やはり「この子に障害はない、もうすぐ普通になる」と思いたかったのですが、「ああ、でもきっと障害があるんだろうなあ」と受容する気持ちにもなってきました。

そのころ私は、1日のほとんどをケロちゃんと遊んだり教えたりすることに費やしていましたが、「どうするのが彼の成長にとってベストなのか」ということが分からないのが悩みでした。そこで自閉症の子供さんを持つお母さんから、本を何冊も借りて読んだのですが、結局分かったことは「自閉症は大変なんだ、ケロちゃんが自閉症じゃなくてよかった」ということだけでした。しかし、本に書いてある自閉症の診断基準に全てではないもののケロちゃんが合致しているような気がしてならなかったのでした。

4.つみきの会、ABAとの出会い

私が青年児童精神科にケロちゃんを初受診させたのは、3歳2ヶ月のころです。発達検査を受けたのが3歳3ヶ月で、私はケロちゃんがもっとできると思っていたのに、それほどでもなくて大変がっかりしました。

同じ頃、私は療育仲間のお母さんたちに「もっといい病院」「もっといい療育」を目指してリサーチをかけました。そこであるお母さんから「つみきの会」を教えてもらいました。早速資料をみせてもらって、自分でもHPにアクセスしてみました。そこには今まで見たことも無い魅力的な文字が舞っていたではありませんか。「自閉症は治る!」会員の方の体験を読めば読むほどすばらしいものに思えました。ただネックは、「ケロちゃんは自閉症ではないこと」と「あまりにも時間的負担の大きいこと」。でもモノは試しです。自分ができる範囲でやればいいや、と軽い気持ちで入会希望のメールを出しました。「うちの子は精神発達遅滞で自閉症ではありません。それでもやる価値があれば入会したいです」と。すぐに代表の藤坂さんから返信がありました。「ABAはどんな子供にでも、たとえば健常児にでもつかえる教育法です。ぜひいいとこ取りをしてお使い下さい」と。

私はすぐさま入会し、ABAのマニュアルを読みました。その初期のマニュアルは、ケロちゃんがもうできることも多かったけれど、非常によくできたもので私は感心しました。2日かけてマニュアルを読み、早速次の日からセラピーを始めてみました。

一番初期に取り組むべき課題は「椅子に座る」「目合わせをする」でした。これらはケロちゃんは全く問題なくクリアーしていました。発語も彼の場合すでに3語文を話せるようになってはいましたが、発音が不明瞭だったため、単音の音声模倣と拍手とか万歳といった動作模倣をさせてみました。これが意外にもすんなりいって、驚きでした。ケロちゃんは以前医師から模倣がうまいとは言われていたのですが、こんなに機嫌よくしてくれるとは思わなかったのです。最初の日のセラピーは1時間くらいしたでしょうか。

これに気をよくした私は、次の日もはりきってセラピーをしようとしました。そうするとケロちゃんは泣いて椅子に座ることを拒みました。きっと前日うまくいったからといって無理をさせすぎたのでしょう。「お勉強いやなの〜」と叫ばれ、途方にくれてしまいました。

やはり抵抗する子供に無理にセラピーをすることは、親のほうにもかなりのストレスがたまります。どうするか、と悩んで、ごほうびにお菓子を使うことにしました。最初のセラピーでは誉め言葉だけにしたのを、今度は上手にできたらお菓子のかけらをあげることにしたのです。これはうまくいきました。ケロちゃんは普段ほとんどお菓子をもらっていない子だったので、お菓子ほしさに何とか頑張るようになったのです。

驚いたのは、3歳4ヶ月で受けた発達検査で、先生がどう説明してもできなかったつみきの「橋」が、ABAを始めてちょっと経つと模倣力がついたのでしょう、「こうして」と親が作ってみせるとすぐに真似して作ったことです。そのときは「これだ」と思いました。

ABAを始めたばかりのころ、私はもう1件別の病院にケロちゃんを連れて行きました。そこで言われた言葉は「この子は典型的な高機能自閉症でしょう」でした。私は驚いて「自閉症は絶対ないって言われたのですが」と言うと、「うん、正確には広汎性発達障害ですね」とのことでした。驚きましたが、同時に納得もできました。やっぱり、みたいな。その少し後で2つ目の病院の青年児童精神科でも「広汎性発達障害ですね。知的な遅れは追いつくかどうか、今は分かりません」と言われました。そして最初に受診して精神発達遅滞と言われた病院でも、広汎性発達障害と診断名が変わりました。

ABAを始めて2ヶ月後、ケロちゃんが3歳6ヶ月のとき再び発達検査を受けました。DQは82に上がっていました。底辺ではありますが、正常値の範囲内です。ABAをやってよかったなあ、としみじみ思いました。もちろん発達検査の数値にとらわれることはいけないかもしれません。でも、数値が上がるというのはこの上ない親にとっての強化子だと思うのです。

ABAを始めて今で5ヶ月余りがすぎました。ケロちゃんは3歳9ヶ月になりました。3歳前からぐんぐん伸びてきていたケロちゃんですが、この5ヶ月の伸びはすごかったと思います。この間彼ができるようになったことは
などなどです。普通の子供だったらほおっておいてもできることだし、ケロちゃんだって遠くない将来できていたでしょうが、こんなにすぐにできるようになったのはABAのおかげです。そしてひとつのことができるようになると、脳が活性化するのでしょうか、ほかのこともできるようになったりするのです。すると自分でも自信がついてくるようです。

 要求語だけでなく、普通のやりとりの会話、「ねえねえ、お母さん、見て見て〜」「ケロちゃん、これがしたかったもん」「雨降ってる、いやあねえ〜」「あのね、お母さん」なんて言ってくれるのは本当にうれしいです。上手にお話ができるのはごく親しい人に対してだけですが。会話が自然な形になってくるまでには、時間がかかりました。そしてこれは直接セラピーのなかで教えたわけではありませんが、生活の中でABA的に接し、どう言うべきかを示したり、また彼自身の能力があがってきたのでしょう、自然に覚えたりして、最近では同じ年頃の子供よりはちょっと幼いけれどかなりキャッチアップしてきたと思います。

 最後にABAをやってきてよかったと思うことはもうひとつ、「やるべきことがある」ということです。普通「自閉症です」「発達遅滞です」と医師から診断されても、今後どう教育すべきか、何をすればこの子は伸びるのかという指示がないことが多いと思います。私もそうでしたし、周りにもそういう人が多いと思います。「様子をみましょう」これが多いですよね。でも、親としては何かしたいと思うのです。専門家から見ると親はすぐにあせってしまって子供に負担をかけると思うのか、教育法については指導してもらえません。それがABAを始めたことによって「進むべき方向性」が見え、「治る可能性」が示される。これは親として一番すばらしいことだと思います。ABAが日本でも多くの方々に広がることを願ってやみません。そして自閉症以外の障害を持つ子供たちにも。

 私のセラピーは、はっきりいってABAではないと思います。けっこうひどいと自覚しています。しかも時間だって週に7時間くらいです。それでもケロちゃんがこんなに伸びてくれたことに感謝しています。もちろんまだまだ問題山積みですが。それと私にABAを教えてくれた方たち、躓く度にアドバイスし励ましてくれた会員の方たちにこの場を借りて御礼申し上げたいと思います。

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