自閉症の兄弟をもつ人たちへ

 

こんにちは。わたしはえっくんの姉です。

この前、このサイトに載せたレポートで、わたしのことを覚えているかな。今度、お母さんが新しいレポートを載せる、というので、わたしも何か書いてみようと思いました。

いま、わたしは10年生(訳注:日本だと高校1年生)で、アメリカの高校に通っています。学校のキャンパスを歩きながら、わたしは時々、「いますれ違った子も、障害を持った家族がいるかしら」と思ってしまいます。

わたしはとても孤独なんです。特に友達に私の小さな弟のことを話すとき、とても寂しい気持ちになります。なぜなら、誰一人として、障害をもつ家族がいることから生まれる精神的な葛藤を理解しようとはしないからです。みんなは、「どんな気持ちか、わかるわ」と言ってくれます。でも本当は何もわかってはいないんです。

私は自閉症児を弟に持つ女の子に会ったことがあります。でも私が彼女と話をしようとすると、彼女はその話題を避けようとするんです。まるでそのことを話すことは罪であるかのように。

 

えっくんのチューター(訳注:ABAのセラピスト)さんたちは、私くらいの年頃で、障害を持つ自分の兄弟を憎んでいる子をたくさん見たことがある、とよく言います。私はそれを聞いて、とてもショックでした。わたしには、彼にとってどうしようもないことで、弟を憎むなんて想像もできません。

でもその後、無知な子どもたちの、障害児に対する偏見をよく目にするようになりました。そのような子どもたちが、ハンディキャップのある子どもを、「知恵遅れ」とか「ばか」と呼んでからかうのを見るたびに、私は腹が立ってしまいます。

私はそんな場面に出くわしたとき、一度も止めに入ったことはありません。だから私にも半分の罪があると思います。でもそんな場面を見るたびに私は、「ばかなのはどっちよ」と、心の中でその子どもたちを笑うのです。

 

私の学校に、一人、ボーダーライン(訳注:知的障害が軽度で、正常域すれすれの子どもたち)の子がいます。彼女はとてもかわいい子で、誰かを傷つけようなんて、これっぽっちも思わない子です。

悪い男子生徒たちはいつも彼女の無知につけこんでいました。しょっちゅう人前で彼女を傷つけるようなことを言って、大笑いするのです。でも彼女はそれを気にしていないように見えました。たぶん彼女は、彼らを友達だと思っていたんだと思います。

わたしはあるとき、がまんできなくなって「もういい加減にしなさい」と彼らに言いました。彼らはわたしに「関係ないだろ」と言い返しました。わたしは、今後、彼女にこんなことをしているのを見たら、学校に訴えるわよ、と言いました。

彼女は泣いて泣いて、泣き続けました。彼らが笑っていたのは、彼女を好きだからじゃなくて、からかっていたんだ、とわかったからです。

幸いなことに、彼らは二度と彼女をからかおうとはしませんでした。たぶんどこからかわたしが校長と一緒に現れて、彼らに居残りを言い渡すんじゃないか、と恐れたのでしょう。

それ以来、彼女はわたしに会うたびに、笑顔であいさつしてくれます。わたしも笑顔で手を振って「ハイ」と言います。みんなはわたしを笑って、彼女を友達にしていることでわたしをからかいます。でもわたしは気にしません。どっちにしろ、あんな連中と仲良くしたいなんて思わないですから。

 

私は家に帰るときが一番幸せです。わたしはあまり勤勉じゃないので、学校に行くのは好きじゃないんです。わたしは疲れ切って家に帰ってくるので、まず最初に昼寝をします。

 お母さんはわたしが昼寝をするのをいやがります。でもわたしは昼寝のあと家族と関わる時間を出来るだけ持つように心がけています。

 

 わたしの弟は自分のことで心が一杯なので、彼の注意を引くためには大抵、彼のすぐそばまで行かなければいけません。彼がわたしのところに来るのは、何か欲しい物があるときだけです。

 わたしはいつも喜んで彼の欲しい物を取ってあげます。わたしは弟が「○○ちょうだい」と言葉を発するのを聞くのが好きなんです。

 わたしは彼を見て、本当の美しさをそこに見ます。わたしは、彼は神の御手に触れられた子だと信じています。少なくとも半分天使だと。いつも落ち込んだときに、彼を見るとそれだけで元気が出ます。 

 わたしもティーンエイジ特有の憂鬱状態になることがあります。そんなときはわけもなく、みんなのことが憎くなります。

 でもそんなときに彼を見ると、わたしは怒りを静めなければ、と思うのです。

 わたしが彼を抱きしめようとすると、彼は身をよじって逃げ出します。キスをしようとすると嫌がります。でも彼はわたしを必要としています。彼は友達として、わたしが必要なのです。

 

 彼のような子どもがこの世に生を受けた理由は何なのか、わたしにはわかりません。でもただ一つ分かっているのは、彼らはいじめられるため、からかわれるためにこの世に生まれたのではない、ということです。

 えっくんは他の子どもたちほど頭はよくないかもしれません。他の子どもたちのように物事を理解することはできないかもしれません。でも彼はこの世で一番悲しみに沈んでいる者の顔に、どうやったら笑みを灯すことができるのかを知っています。それが天分でなくて何でしょう。

 この手紙をどうやって本筋に戻したらいいのか、わからなくなってきました。でもわたしは弟がどんなにわたしを元気づけてくれるか、わたしがどんなに彼を愛しているか、を伝えたいのです。

 わたしは彼のおかげで、将来は言語療法士になろうと決めました。そしてもちろん、いつまでもわたしにできる限りのいい姉でいようと。

 

 怒ってばかりいるには、人生は短すぎます。そして愛する者の困難を克服するための長い時間を含んでいます。もちろんわたしがいるし、家族もみんないます。でもそれだけでは愛する者を助けることはできないのです。そうでしょう?

 えっくんはわたしに、他の人たちなら気づかないことを気づかせてくれます。私たちが当たり前だと思っている、人生の中の些細なこと。えっくんのような子どもたちは、それを別の目で見させてくれます。パズルを完成させること、自分の名前を言うこと、自分の鼻を触って、「鼻」と言うこと。私たちにとっては、これらはそんな大したことではありません。でもわたしにとっては奇跡のように、あるいは神の御技のように思えるのです。

 

 当時、(診断されてからの一年間)絶望感がこの家に漂っていました。そして渡米をしました。

私たちが何かを必要としていたとき、ドクターSという女性が家にやってきたのです。彼女はえっくんのホームプログラムのリーダとなりました。

 最初のうち、私たちは家にやってくるチューターたちのことを、不安な気持ちで見ていました。彼女たちはあいさつをし、にっこり笑い、それからえっくんを彼の部屋に連れて行って、2時間たっぷりセラピーをするのでした。それから彼女らは出てきて、えっくんがどんなだったかを話し、そして帰っていきました。

 私たちは、部屋の中でえっくんとチューターたちが何をしているのか、さっぱり分かりませんでした。そこでお母さんはえっくんと、メローラという名のチューターの様子をビデオを撮ることにしました。

 私たちはそのビデオを見て、びっくりしました。えっくんはなんて一生懸命勉強していたことでしょう。彼はメローラの指示のままに言葉を発し、彼女の動作を模倣していました。メローラはとてもエネルギッシュで、えっくんを笑わせていました。

 もう一人のチューターはミッチェルという名でした。彼女とメローラはえっくんをとても進歩させてくれました。

 わたしは専門的なことはよく分かりませんでした。わたしが知っていたのは、彼女らがABAというものを行なっていること、そしてそれはわたしの小さな弟をよくする助けになるのだ、ということでした。

 

 それから悲しい日々がやってきました。メローラとミッチェルはもうわが家のセラピーを続けることができなくなったのです。彼女らは泣き、私たちも泣きながら、お別れを言いました。でも時は流れ、やがてわたしたちは次々と新しいチューターを迎えることになりました。

えっくんは全部で10人以上の熱心なチューターを経験しました。そして最後にわたしたちはナズとティファニーという二人のチューターを迎えました。ナズとティファニーはとても息が合っていて、二人が一緒にセラピーに来るときは、いつだっていい結果が出るのでした。一人ずつ来るときでも、彼女らはとてもよくしてくれました。

 えっくんはこれまでにも増して学ぶようになり、彼女らは、奇跡の職人のように、わたしたちの信頼を回復してくれました。ナズとティファニーはえっくんのセラピーをするだけではなく、わたしたち他の家族にとってもとてもよい友達になってくれました。二人はわたしの将来の夢、えっくんのような子どもを助ける人になる、という夢をさらに刺激してくれました。

 まもなく、えっくんのホームプログラムが終わるときが来ました。最初、わたしは悲しかったです。それはまるで病気の人間から薬を取り上げるようなものでした。でもそれからわたしは悟りました。これはえっくんにとっていいことなんだと。これは終わりではない。えっくんの人生にとって新たな始まりなんだと。そしてわたしは彼が新しい生活を最良のものにするために、できるだけ手助けをしようと思いました。

 

 およそ三年間。三年間のハードワークと密度の濃いセッションでした。チューターたちは、彼を助け、現在あるまでにしてくれました。でもえっくんがここまで成長して来れたのは、決してチューターさんたちだけが唯一の原因ではありません。それだけではなく、えっくんとわたしたち家族、とりわけえっくん自身によるところが大きいと、わたしは信じています。彼はとても幼いですが、とても勤勉で、がまん強く、強い意志を持っているのです。彼はコミュニケーションが苦手で、理解していることも多くはありませんが、それでもわたしがとても言い表せないほど、たくさんのことを達成したのです。

 わたしはチューターたちにとても感謝しています。彼らはえっくんを助けただけでなく、わたしたち家族を結束させ、わたしたちすべてをいやしてくれたのです。

 

 最後になりましたが、わたしがこの文章を書いたのは、自閉症者を家族に持つ皆さんに、一つのメッセージを伝えたかったからです。そう、確かにそれはつらいことですが、しかし誰かを助ける、ということは、とてもすばらしい報酬があることなのです。毎日毎日、わたしはえっくんから贈り物をもらいます。なぜなら、わたしは彼からいろんなことを学んでいるからです。

わたしは完璧な人間ではありません。時には彼に対して腹を立てたり、うんざりすることもあります。でもどんなに腹を立てても、彼に対する愛情がゆらぐことはありません。

 

誰にとっても、人生は多くの障害に満ちています。えっくんのような子どもたちはそれを自分一人で乗り越えることはできません。ですからあなたが必要とされているのです。あなたができる最善のことは、彼らの手を取って、そして最後まで彼らと共に歩むことです。

 

えっくんの姉

 

 

 

 

そして母から・・・・

 

お姉ちゃんは、このようにしてとても弟思いな子です。

私たち親が出来ないことがあれば、彼女が手を貸してくれたりします。

しかし、私は彼女にいつも、弟のために自分の人生を生きないでほしいと言います。

自分の人生を自分の思い通りに、好きな道を進んでほしいと願っています。

しかし、彼女の選択はどうやら、弟のような子供たちに何かしたいというのが

彼女の選択のようです。

現在彼女は学校から帰るとベビーシッターとして

6歳の男の子を自宅で、見ています。これもえっくんのピア(友達)をつくる

手段と考えたのでしょう。

どうやら、セラピストさんたちが我が家に来てくれたとうことの結果は

息子だけでなく、家族全員に大きな影響を与えてくれたようです。

そして彼女は9月から高校2年生になります。

彼女は、学校の広報委員になり、学校の新聞を活用して、Autism Awareness(自閉症を広める)

運動をするそうです。

 

私は彼女とメールの交換をよくします。

といっても同じPCで同じアドレスですが。

でも、現在のハイテク機能を活用して、いつまでも母と娘だけの関係ではなく

親友として、先輩として、同じ女性として、尊敬し合えたら最高だなって

思います。

 

みなさん、娘の気持ちを読んでくださってありがとうございます。

 

えっくんママより